芯のある自分になれると、まったくブレなくなる。

自分のアイデアがいいと言われ、若干嬉しくなるときがある。

これはブレストベースの簡易的なものだけど、それでも心が晴れるような感情である。

 

しかし、同時に何故このような感情が生まれたのか

不安にもなった。

原因としては、

・俺って本気で生きることができてない?他人の評価にさらされてないか?

・心が晴れるってことは満たされていないってこと?

・そもそも認められたいという思いが強すぎるのか?

 

自分の心の内を探ったなかで、このような項目がでてきたことで

そりゃ不安だろ、というのが正直な感想。

なぜなら、自分に対する自身や確固たる思い、使命のようなものが

まったく感じられないからだ。

 

周りの評価で生きていないか?正直に生きることができているか?

馬鹿にされたくないから、バリアするために攻撃的にでたり、同時に防御してない?

 

こんな思いが生まれ、自信をばかばかしくなってきた。

自分の理想はただ一つ。

 

自身と誇りをもって生きる。自分だからやるという使命をもって生きる。

自分がブレているから、外部環境によって影響受ける自分がいる。

芯のある自分になること。

ここにたどり着いたときに、初めて次のステージに進むことができるはずだ。

小さくても、大きくても挑戦は尊いものです

ちょっとの勇気が人生を大きく左右するかもしれない話。

自分を変えたいとか、理想に近づくための一手として普段やらないことをやってみるということをルール設定したが、これがなかなか難しい。

 

ちなみに自分が設定したルールとは

「知らない人に声をかける(女性)」ということ。

声をかける、とは基本的に道を聞くことにしている。

 

いざやってみよう!と思うを気負いが出るし、

かわいい子しか声かけません!てなると、顔で選んでしまうし

結局何もせず自己嫌悪に陥ることが多々ある。

これなクラブに出かけるとよくある現象だ。

いろいろ条件をつけてハードルを上げきった挙句、何もできないということ。

言葉変えるとナンパなんだけど、これができると自己概念上がりそう!っていうのがそもそものきっかけ。

自己概念を上げる、とは自分を好きになることにも通じる。

自分が描いた理想を実現することでもある。これは高揚感でしかない。

 

高揚感を求めるか、それとも現状維持のぬるま湯に浸かるか。

どちらも気持ちがいいとはいえ、人生の豊かさ・幅を求めて挑戦してみてもいいのではないか。

一時のブレーキによって未来を制限してはもったいないのではないか。

 

自分が求めているという事実と、それをしなかったときの

機会費用を考慮して今後は挑戦していきたい。

挑戦は小さいも大きいもないということ。

ここに小さく宣言してみました。。

 

変化とは何か

人によって志向が異なるが

「変化を求める」または「変化を拒む」の2極化するようだ。

自分はどちらに当てはまるか考えてみるが

結論は「変化を求めている」ことに気づいたのが最近のこと。

 

元々、居心地の良さを求めており、従来の繋がりや既存の枠組みで生活をすることが

外的な刺激も少なくコントロールできる部分も多いので自分が求めているものと思っていた。「変化を拒む」側だった。快適が幸福の条件に思っていた。

しかし、本当は違う。

 

周りから影響を受け、恐怖を感じながらも前に進み、打ち克つ先にある自分の姿を誇らしく思えるようになる。このときの自分を好きになれる瞬間を多く生み出すことが一番求めていることであった。挑戦の先にしか見えない景色があるということ。

時には恥をかき、悔しい思いをしながらも、できることが純粋に増え、思考が拡張し、言葉の引き出しを多く持ち、言葉の質・深みを持つことができる人間になること。実力がともない、経験則でしか語らない本質的な部分をこれから培っていきたい。

これによって周囲に増える絶大な信頼のおける仲間と共に物事を動かす幸福を私は求めていたんだと。

 

できることしかやらない人生なんて深みがない。

同じことしか考えないで生きる人生なんて楽しいわけがない。

 

 

結論、変化とは何か。

それは、幸福感情を得るための手段でしかない。

幸せとは快適なものでるが、その道のりは同時にとても負荷がかかることを教えてくれる薫陶なのだと思う。

街を作るものとは。

間違いなく人だろう。

人が集い、交流し、新しい価値が生まれる瞬間。

それをサポートしているのが「街」という空間であり場所である。

 

人を惹きつける場所とは何か。

魅力に感じるものとは何か。

 

人は結局、ひきつけ合うものでそれにはやっぱり空間が必要なんだと思う。

ネットやデジタルでは解決できない価値がそこにはある。

 

よりリアルな体験を。体感で全てを感じることを。

 

自分に対して何を問うか。

課題や問題にはすべて本質となる部分があると思っている。

あらゆる情報を精査し、いかにこの答えにたどり着けるか。

これが全ての問題と捉えている。

 

みなさんは自分自身に、質問をしているだろうか。

なぜやるか、本当に求めているものは何か。

物事あらゆる角度から眺めてみて、自分事を客観的に把握することで

見えてくる景色が変わるのだろうが、これがなかなか難しい。

 

自分ごとを他人事に。

主観を客観視して、本質的な部分にたどり着く。

まさに思考の海にダイブする。

 

思考は一生続けること。

人間が持つ、唯一の特権を利用しよう。

物事の本質はつかめるのか・・・

とにかく仕事において、形式的な様式が横行しているように見受けられる。

説明を具体的にせず、曖昧に。ニュアンスだけ残すような。

 

これは、プレゼン等の説明において

所謂突っ込まれるポイントになるだろう。

 

どのように考えているのか

どのようにやろうとしているのか。

さらに落とし込んで話してくださいと。

 

この手のプレゼン・資料については何も惹かれない。

何を伝えたい、どうしたいのかビジョンがまったく見えないから。

ビジョンが見えないというのは、何もしないほうが良い。

全てが無駄になる。浪費でしかないのだから。

 

 

こと、人生において自分のことになると

わからなくなることがある。

問題を過大評価したり、ネガティブな思考になったり。

他人事だとたいしたことないことでも、自分事だと大事だ。

これらの不安は、成功イメージと実態のギャップから生まれる。

不安要素をフォーカスするような思考から生まれてくるものである。

 

本質とはとかく見えにくく、つかみにくい。

客観的に捉えにくい部分にもなる。

本質を掴むとは、それほどまでに難しい。

だからこそできるようになりたいのかもしれない。

 

 

本質を掴んだ先には、自然と目の前に具体的なソリューションが明確になっている。

 

 

 

東京に居る理由って何だろうか・・・

国立新美術館で開催中の

ジャコメッティの企画展に行ってきた。

https://goo.gl/SDFLwZ

 

アートは難しい。

何か感じるものはあるにせよ、何がいいのか

どういうことなのか、言葉で表せない。

なんにせよ歯痒い。思いを言葉にできないことほど辛いものはない。

周囲からは、何も感じてないのではないかという目で見られるし。

まぁ、いいのだけど。

感じるものがある、という事実と楽しめたという感情を評価しよう。

 

 

さて、ふと私はなぜここにいるのかと思う瞬間があった。

美術館に来た、というよりは

なぜ東京に住んでいるのか、活動の拠点にしているのだろうか。

目的はなんなのか、ただ時間を消費していないか、と。

 

富山から大学進学のため東京に出てきたので、早10年近くになる。

当初の目的は「生活環境を変えてみたい」ただそれだけだった。

将来の夢とかまったくなかったし、長期のビジョンを見据えて行動を起こせるほど計画的でもなかったし、熱烈な願望もまったくない。

周りの環境によって、自分が変化し、良い影響を得られる。

好循環みたいなものを回せる場所という位置づけにすぎなかった。

 

ただ、ここはそんなに甘くなかった。

というよりかは、「生活環境を変える」という目的を達成していまい、ゴールを失う。

周囲の環境は選べないから、自分はただ受け入れるしかない。

理想と現実に直面する。不平不満をもらす。そんな生活なんて糞食らえですよ。

ただ消費されにきただけなんだと、今になって思うから。

誇大広告が乱立する東京は、まさに消費を促すことだけ

貨幣を循環させることだけにフォーカスした街になっている。

 

人間として立ち返るために、今ふと思う。

何故、東京にいるのかと。

正直、明確な答えはない。なぜなら叶えたい夢も願望もまだ明確でないから。

何かを見つけたときに動きやすいだけ。なのかもしれない。

人種が多い分、コミュニティも多いし、情報も集まっている印象あるし。

娯楽も生活も事足りてるのがいいところかなと。

 

でも、もっと自分ってできるよね?

そんな思いもこみ上げてきた。数々のレイヤーで成り立つ東京で

今自分はどこに立っているのかな。

これから30代に突入する中で、どこに向かっているのかな。

 

自然と不安がこみ上げる。

同時に自分を信じたい。もっとできると信じたい。

周囲を見渡し、欲深い自分に気づく。

お洒落したいし、女の子連れて歩きたいし、

美味しいご飯を食べたいし。

まだ、経験してないことってたくさんあるよねと。

そして何より、自分もそれを求めているよねと。

求めるもの=願望・理想

 

小さな欲望しかないと思っていた自分を

勘違いだと思い込ませてくれた六本木はやはりすごい場所だ。

これからの数年で、一歩一歩近づいていきたい。

現場に居られるからこそ感じる空気を自分の中に吸収して自分のものにしよう。

 

いつか財産になるはずだと信じて、自分はただ結果を求めて

行動あるのみ。本物の空気にのみ触れる時間を多く作る。