違和感には正直に。突き詰めてみること。

休日は大体スタバに行く。

本を読んだり、ネットしたり。

wife環境が整っているので、御用達。wifiがあるかないかで、行く先が変わるというのは大きな影響力のある施策だと痛感する。

 

そんなこともあってか、周囲には常にPCを広げ仕事?をしている人がいる。

そんなこと家でやれと思いつつ、自分も同じかと納得する。

他人の振り見てわが振り直せとはまさにこのこと。

 

さて、そんなことはどうでもよくて・・・

どこにでもいるのだが決まった時間、決まった場所にいるお客さんっているよね。

決まった過ごし方をしていて、またいんのかい、と心の中で呟く。

だけど、何をしているのかなーって気になってしょうがなくなる。

 

彼ら(彼女)はいつも二人で来る。

そしてお互いPCを開き、ディスプレイ越しに会話をしているのだ。

この時間って何?一緒にいる意味あるのか?と思う。毎回。

もしくはお互い仕事が忙しいために、妥協案があの形なのか。

お互いの共通理解があればいい話なのだが、違和感がすごい。

 

この違和感はどこからくるのだろうか。

自分のカップルに対する固定概念?偏見?自分なりの定義があるということ?

こうすべきだ、みたいな思考が自分の中にあって、その範疇を超えてしまったケースが本件なのだろう。

こういう瞬間は心のそこから感謝である。

なぜなら自分の頭から生まれない選択肢を与えてくれるからだ。

 

人は1日に何万回と選択をすると、本で読んだことがある。

目が覚めて、体を起こすこと。歩き出すこと。鏡を見ること。

無意識下においての選択の連続だ。ここの質が、人生を大きく左右する。

 

ただ、今回は相手がいて、自分がいるという思考の刷り合わせが必要になる。

ということはコミュニケーションが必要で、配慮することが必然だ。

何を望み、どこまで叶えてあげるか。

そのコミュニケーションを経た最善策があの形なのだろう。

常に最善を尽くしており、周りからみると違和感でも共通理解があれば問題ないということ。

 

違和感の源は間違いなく存在する。

ここを突き詰めた先に見える景色こそ、本来のあるべき姿が現れてくるのではないか。

違和感には正直に。

この気持ちを大切にしていきたい。