東京に居る理由って何だろうか・・・
国立新美術館で開催中の
ジャコメッティの企画展に行ってきた。
アートは難しい。
何か感じるものはあるにせよ、何がいいのか
どういうことなのか、言葉で表せない。
なんにせよ歯痒い。思いを言葉にできないことほど辛いものはない。
周囲からは、何も感じてないのではないかという目で見られるし。
まぁ、いいのだけど。
感じるものがある、という事実と楽しめたという感情を評価しよう。
さて、ふと私はなぜここにいるのかと思う瞬間があった。
美術館に来た、というよりは
なぜ東京に住んでいるのか、活動の拠点にしているのだろうか。
目的はなんなのか、ただ時間を消費していないか、と。
富山から大学進学のため東京に出てきたので、早10年近くになる。
当初の目的は「生活環境を変えてみたい」ただそれだけだった。
将来の夢とかまったくなかったし、長期のビジョンを見据えて行動を起こせるほど計画的でもなかったし、熱烈な願望もまったくない。
周りの環境によって、自分が変化し、良い影響を得られる。
好循環みたいなものを回せる場所という位置づけにすぎなかった。
ただ、ここはそんなに甘くなかった。
というよりかは、「生活環境を変える」という目的を達成していまい、ゴールを失う。
周囲の環境は選べないから、自分はただ受け入れるしかない。
理想と現実に直面する。不平不満をもらす。そんな生活なんて糞食らえですよ。
ただ消費されにきただけなんだと、今になって思うから。
誇大広告が乱立する東京は、まさに消費を促すことだけ
貨幣を循環させることだけにフォーカスした街になっている。
人間として立ち返るために、今ふと思う。
何故、東京にいるのかと。
正直、明確な答えはない。なぜなら叶えたい夢も願望もまだ明確でないから。
何かを見つけたときに動きやすいだけ。なのかもしれない。
人種が多い分、コミュニティも多いし、情報も集まっている印象あるし。
娯楽も生活も事足りてるのがいいところかなと。
でも、もっと自分ってできるよね?
そんな思いもこみ上げてきた。数々のレイヤーで成り立つ東京で
今自分はどこに立っているのかな。
これから30代に突入する中で、どこに向かっているのかな。
自然と不安がこみ上げる。
同時に自分を信じたい。もっとできると信じたい。
周囲を見渡し、欲深い自分に気づく。
お洒落したいし、女の子連れて歩きたいし、
美味しいご飯を食べたいし。
まだ、経験してないことってたくさんあるよねと。
そして何より、自分もそれを求めているよねと。
求めるもの=願望・理想
小さな欲望しかないと思っていた自分を
勘違いだと思い込ませてくれた六本木はやはりすごい場所だ。
これからの数年で、一歩一歩近づいていきたい。
現場に居られるからこそ感じる空気を自分の中に吸収して自分のものにしよう。
いつか財産になるはずだと信じて、自分はただ結果を求めて
行動あるのみ。本物の空気にのみ触れる時間を多く作る。