頑張れない理由とは

物事を行う上での判断軸にモチベーションがある。

要は、自分が頑張ったかどうか、姿勢の話。

 

結果を左右する姿勢。または向き合い方。

結果に対する捉え方も換わってきてしまう要素になる。

 

頑張れない、とはどういうことなのか。

本気でいられないとはどういうことなのだろうか。

 

行為と思考が一致していないということ。

今の行動はなぜやっているのだろうか。

意味のないという認識が意欲の低下にダイレクトに直結している。

 

今、頑張っている人はどれくらいいるのだろうか。

頑張るとはどういうことなのだろうか。

頑張る必要性はあるのだろうか。

頑張れっていう言葉は無責任ではないか。

 

日本は頑張ること、努力することが美徳とされる。

頑張るから幸せになれる、その姿が人を感動させると。

良い循環を創出し、エンゲージメントを作っていくと。

 

頑張れない理由って、頑張ることを強要されることに対する辟易かも。

外部からの刺激が強すぎる。天邪鬼、求められたら返したくなくなる。

誰しもが、頑張ることで目標が達成される。

 

 

頑張ることが当たり前の社会。

頑張るという概念がなくなり、ただ求める行為を推奨する世界。

アクションを起こすことが何よりも正しい。

行動を起こした事実=頑張ったになる社会の方が生きやすい、健全な世界だろう。

「人を変えることはできない」とは

自分の思い通り、また理想の通りにいかないことの方が圧倒的に多い。

特に人間関係。

人生とは山あり谷あり、ではなく「谷あり谷あり」である。

 

自分の思いを理解してほしい、

自分にとって気づきを与えてくれる存在がほしい

仲間と一緒に切磋琢磨したい

 

等々

 

人との関わりの中での学びや、気づきが得られ成長したと思える自分にとって

大きな理想を描いている項目になっている。

自分が変わる、最初のきっかけは内部の動機付けというよりは

外部からの刺激によるものが多い。

 

結果的に、刺激を求めている。

できない自分に気づくこと、悔しいという感情。

理想に気づき、どのように在りたいかという自分と向き合う時間。

 

その全てを一度経験している以上は

これらを全て求める環境に身を置きたい。求めている。

これを実現するには、自分が変わるしかない。

 

何を得て、何を手放すか。

ここに対する恐怖は感じるべきではないだろう。

捉え方も変える。

 

すべては自分次第ということか。

仕事とは、時間の奪い合いである。

誰もが平等に持っているといわれる時間。

 

時間を切り盛りし社会に貢献することが、仕事。

1日の大半を使う仕事とは、まさに時間を奪い合いである。

 

担当や責任という名の下、

タスクを与えられ、達成することがモチベーションにもなる。

それがやりやすいという人もいれば、決められた枠組みの中でしか行動できないことに

フラストレーションを感じる人もいる。

 

誰かがやらなければならないことを

タスクという名義で押し付け、意味を持たせている点は

伝え方、という点で秀逸である、

タスクを押し付けた側の時間を同時に捻出しているからだ。

 

ただ、全ての人の願望には

変えがたいやりたいこと、というものが明確に存在し、

日々タスクの消化の中で忘却したり、自分の中で折り合いをつけたりしている。

 

24時間における1日の割合が仕事ということになると、

残された時間はあとわずかしかない。

ここに意識を傾けることができているか。

また、現状に疑問をもち解決しようという意識があるかどうか。

 

時間とは、平等であるが故にとても軽く捉えられ

ないがしろにされる項目である。

仕事における時間の濃度を濃くする、または削減することで

自分の時間、と思えるものを創造していきたい。

 

即行動の意味

「思いついたら即行動しよう!」

成功への近道や、条件として語られるこの言葉を

どれほどの人が実行できているのだろうか。

 

ちなみに私はまったくできていない。

考えて、イメージが明確になって始めて行動に落とし込めている。

なぜなら創造できる、ということが成功の98%を占める、と

聞いたことがあり、共感しているから。

 

一言でいうと何をすべきか明確で、後はやるだけの状況を自ら作っていくことになる。

行動が結果を作るので、行動を具体的にしていく作業を重要視しているということになる。

暗闇の中は走れない。いや、むしろ恐怖を感じている。

 

では、何故この言葉が世の中の真理をついているのだろう。

やはり、全ての人は自分の感情や当時の記憶を忘れてしまう。

ただ、そこに尽きる。

記憶から、ひいては思考が結果を作る。

未来を作る作業を各々が行っているということだ。

 

すべてはアクションからしか生まれない。

現状維持は、やはり衰退を意味しているのだろう。

人生におけるフライングは警告ではない。

朝時間ほど効率的なことはない(時間の概念で)

もちろん周りの環境によるところも多いのだけれど。

(例)電話がない、静かである、時間をコントロールできる 等

 

上記はよくビジネス書にも書いていることなので

よく目にすることもあるが、

なにより自己概念が上がる。

やってやりました!やることやれたじゃん俺!って。

 

如何にしてこのような時間を増やしていくか。

意図して作っていくか。

どうすればこのような時間が使い方ができるのだろうか。

 

日々の試行錯誤の中で見出すことができれば

より良い人生になることは間違いないのだろう。

なぜなら、自分のことを好きでいられることほど幸福なことはないのだから。

 

結論としては、朝は早く起きるに限る。

誰もが動き出す前に。

人生におけるフライングは警告ではない。

誠実の正体

最近”この人誠実だなー”って思うことがあった。

そう感じたとき、

相手を好意的に感じたし、自分もこうありたい。と強く思うものだった。

誠実という言葉をあまり使うこともなかったけど

今後は相手に対して、”誠実であるかどうか”を判断軸に据えることも

あるなと。

 

結論としては、相手への敬意や配慮など

今よりも良くなるためのお手伝いを相手以上に考えてあげられるかに尽きる。

問題の本質を捉えること、気づいていない課題を指摘すること。

イメージの拡張とかもこちらに通ずるものがあるだろうか。

 

背中を押してあげて、引き上げて。

承認して、傾聴して、賞賛して。

すべてプラスプラスのアクションをいかに続けられるか。

尽くし続けることができるかどうか。

 

これってなかなか難しいなーと。

自分の成功を考えたときに、やるべきことがあるけれど

並行して尽くし続けるってことができるかどうか。

本来やりたいことができなくなって

タイムマネジメントの重要性を感じることになる。

そもそも、これってやんなきゃいけないの?とか。

自分との葛藤。できなかったときの迷いや不安。

 

逃げるというか、避けて通ることは簡単なんだよね。

ここと如何に向き合うかどうか。

自分の在り方を優先して行動を起こすことができるかどうか。

決意や覚悟の部分と重なる部分。

 

本気でいられるかどうか。

すべてはここに尽きる。

 

 

 

 

なんかまじめすぎるなー

もっと楽しんで生きたい。

笑顔と明るさを誰もが求めている。

笑顔の効用、明るさがもたらす恩恵ってある。

物事がうまく進んだり、会話から生まれる良好な人間関係に喜びを感じたり。

 

嬉しいから笑う、ではなく笑いながら何かをする。

簡単なようで簡単ではないことに、日々フラストレーションを感じたりしていた。

 

良好な人間関係って相互理解でしょう?とか

お互いを開示してこそ理解できるでしょう?とか。

 

日々生きている中で、このような関係性があるから物事がうまく進むし、

何らかの結果や成果に繋がると思っていた。

 

でもそれは間違いだったんだよね。

 

人は、良好な関係でいられることに喜びを感じるし

そういう時間を増やしていることが、日常の幸せなんだよね。

お互いを理解する、とか深いとこでの繋がりとかって求めていない。

物事がうまく進み、その中で何かしらの結果を掴む。ここに関しては何でもよかったり。

 

お互いを尊重することと、理解することは異なる。

尊重する関係性も悪くないんだなってことが直近の感想。

 

だって、完璧な人なんていないし、誰だってミスするし。

赦しあえる関係性も悪くないなって考えが生まれた。

基本的な姿勢として前向きでいられるしね。

 

前向きでいること=自身の幸福

 

自身が幸せでいられることほど、大切なことなんてないよね。

自分は自分で素晴らしいのだから。

自分の幸福を選択する。折り合いを付ける、というよりは自ら選ぶ。

 

自分は物事において、何を感じているのか。

この感情こそ、自分の人生における宝で向き合うべきことなんだと思う。